記憶装置

外部出力先として

看る夢Ⅰ

ひねくれ者のスタートライン

 

 

エコーロケーション反響定位)を利用して暗闇を進む恐怖を体感する、斬新なパズルゲーム。

RAC7 Games開発の「DARK ECHO」。

このゲームの映像演出を用いて作成した全9話の「琴葉葵の看る夢は」は、元ネタなしでゼロからストーリーを考えた最初の動画である。

 

「結月ゆかりは逃げ続ける」の後半あたりから、なんとなく次の主人公は琴葉姉妹にすることだけは考えていた。理由は特にない。本当にフィーリングで決めていた。

しかし、それ以外は完全にまっさらだった。ベースに用いるゲームも、ストーリーの流れも、ログライン(「〇〇が△△する話」程度の大枠)すら、何一つ決まっていなかった。

 

そんな折、突然O県への出張が決まった(ここで唐突に身の上話になるのだが、まあ聞いていただきたい)。

新幹線に乗る前日までは「ちょうどよく、次の動画について考える時間が生まれた。環境が変われば斬新なアイデアが勝手に沸いてくるというし、トントン拍子でゲームやストーリーが決まるだろう」などと気楽に構えていた。だが、現実は違った。

その出張はいわゆる敗戦処理だったのだ。昼は相手方に理不尽に絞られ、夜は山奥の民泊に閉じ込められる日々。自分の精神はみるみるうちに摩耗していった。

そのような状況だからこそだろう、現実逃避したくてしたくてたまらなかった。民泊はコンビニまで徒歩30分、出かける気にもならずスマホをいじるしかなかったというのもあったかもしれない。何か、新しい動画の題材になるパズルゲームはないものか。辛い仕事から逃げるように、寝る間を惜しんで布団の中で動画を漁った。

そして出張の最終日前日、ついに「DARK ECHO」というゲームを見つけた。

動画の冒頭を見て、もうこれしかない、と思った。

ストーリー性はほとんどなく自由に脚色が出来る。そのくせ「危険なものや敵、己の断末魔は赤で表示」「同じ迷宮に迷い込んでいると思しき第三者の存在」「逃げることしかできない謎の巨大な敵」と言った、想像力を掻き立てるパーツが揃っている。

エンディングを見終える頃には、とても興奮しきっていて、絶対にこのゲームで物語を構築してやるぞと鼻息を荒くしていたのを覚えている。

 

それから自宅に戻るまで、暇なときは常にログラインとあらすじについて考えていた。繰り返すがあの時は相当参っていたから、「ホラーゲームなんだしとりあえず姉妹をひどい目に遭わせてやろう、グヘヘ」と薄笑いを浮かべて、どんな残虐な物語にしてやろうか、それだけに思考を巡らせていた。

 

つまり初期の段階では、あんな大団円のストーリーにする気は全くなかった。

 

ところが出張から帰ってきて「結月ゆかりは逃げ続ける」終盤のエンコードなどをしていると、次第にメンタルが回復してくる。そうするとその心境にも変化が生まれてくる。

ゲームを購入して、繰り返し遊んでイメージを膨らませているうちに「流行りのダークサイドと大して変わらないんじゃ面白くない」という思いにも駆られるようになってきたのだ。

自分はひねくれ者だから、「仲の良い姉妹が辛い結末を迎えるというバッドエンドではなく、逆に仲の悪い姉妹が困難を乗り越えて仲直りするハッピーエンドにしてはどうだろう」と考えるようになった。

 

ゲームの最終ステージは「謎の巨大な黒い塊から逃げきって、暗闇から光溢れる世界へたどり着くこと」でクリアとなる。「困難を乗り越え仲直りする物語」の暗喩に相応しい。

 

よし、そうと決まれば、もっともっとひねくれていこう。

 

他人様の動画を見る限り主人公は茜が多い。ならばこの動画の主人公は葵にしよう。

葵は仲直りするという夢を見る。なら、「見る夢」というタイトルにして…いや、それだと直球で面白くない。同音異義語で最も馴染みの薄い「看る」にしよう。そこから着想を膨らませよう。

「看る」ということは病院が舞台。ゲームは暗闇。とくれば茜を失明させ、それを助ける素直じゃない葵という構図にしよう。

物語には意外性がないと面白くない。どうせなら徹底的に視聴者を騙しに騙して、二面性のある物語を作りこんでみよう。

 

こうして、「琴葉葵の看る夢は」のログライン『仲の悪い姉妹が困難を乗り越え仲直りする物語』と、サブテーマ『視聴者に気付かれずに別の友達を助ける物語』の両輪が、ひねくれ者の連想ゲームによって徐々にその形を成していくことになる。

 

 

 

試行錯誤の道程

 

ログラインが出来た。次は、ストーリーを固める段階だ。

ゲームを繰り返し繰り返し遊びながら、使えそうなステージを取捨選択して、妄想を膨らませていく。通勤中は常にメモ帳を開き、思いついたセリフ、シーン、ストーリーの流れをテキストに書き溜めていた。

自宅では、メモ帳に書かれたキーワードをどう配置したら面白くなるか考えながら、物語の流れを調整していく。

…と書くとそれっぽいが、実はこの時は、最初と最後の展開さえ決まっていればなんとかなるだろうという甘い考えで突っ走っていた。正直、今の自分では想像もつかないような独特のストーリー作りをしていたことになる。

 

ここで、看る夢関連のテキストデータのうち、面白そうなものを抜粋してみる。原文ママというヤツなので、読みづらい・誤字脱字等は目を瞑っていただきたい。

 

〇テキストデータ1


コンセプト:過去を思い出しながら精神的損傷で盲目になった茜を助ける
すでにみんな大学生、葵の過去を振り替える形(パート1と最後だけに伏線を張っておく。)


裏コンセプト:情報の断片を各パートにばらまいて、同じく暴漢に襲われ盲目となったマキを助けるためにゆかりが同じことをしようとするエンドをエンドロールの最後につける?

 

塞ぎ混む前までの友達は四人だが編集して三人であるように見せること。
伏線はマキの台詞でノイズ、立ち絵のズレ。最後にネタばらしすること。

ずん子ときりたんは医者とナース役。
だが裏でゆかりんと結託しており、夢の世界を脳波で観測(ハーネスに繋がれるのはパート2以降とする)。
最後はゆかりん一人で、同じような目に遭ってるマキちゃんの世界にダイブして助ける。

「あかねちゃんのためだから」という発言は嘘なので赤く見える。それで混乱して逆転する。

 

最後は光へ脱出。
感動の再会しつつ、視覚効果がなくなってることに気づく。
ずん子に下手な嘘をついてもらい(全然心配してませんでしたよー)色すら見えなくなったことに気づき、脳の代償は特殊能力の欠如であることがわかり安堵。

姉妹二人で笑ってる姿。

同じ大学目指して葵が茜に勉強を教えている?


葵「でもこの話には、裏があって…」

ゆかりんが病室から出たあとマキと同じハーネス繋いで薬飲んでダークエコー開始。
伏線回収し、葵の独り言(日記はこれでおしまい)
→四人の立ち絵でエンド。私の見る夢は、みんなで同じ大学に行くこと。

 

ログラインのおかげで物語の大枠は投稿時のものと変わっていないが、細部が異なるのがわかる。

初稿では、手を握って夢の世界へダイブするのではなく、ハーネスに繋がって相手の頭脳へダイブするというSF的な世界観だった。

また、きりたんはナース役での登場を考えており、投稿時のようなラストのオチ要因ではなかった。エンディングはゆかりがマキを助けるシーンで終わりにしようと考えていて、ゆかりの心理描写なぞ行うつもりはなく、「視聴者を驚かせるための舞台装置」としての扱い程度にしか考えていなかった。

 

ここからアイデアをさらに膨らませたり、初稿に手を加えていく。

次は、第二稿のアイデア出しに用いたテキストだ。

 

〇タイトルなし

 

 

うぬぼれる子ほど闇が深い

トラウマが大きすぎるのはそのせいか…?
もっと大きなショックでもあったみたいですが人によるし。

火事でもあった?それはない。

携帯の電話帳…中学時代の連絡先すらなかった。
わたしには友達がいなかったのか、記憶を消す前に消したのか…いずれにせよ、友達から疎遠にされてたみたい。
赤の音の力のせいかどうかはわからないけれど。

 

何故ずんこはそこまで協力的なのか

 

ラスト一文、「何故ずんこはそこまで協力的なのか」で終わっているのが面白い。いくらフィクションの世界とはいえ「夢の世界に入りこんで姉を治療する」などとのたまう妹を医者が信用するはずがないし、登場人物の心情や行動の意味合いに正当性を与えるためにも、何らかの理由付けをしなくては…とこの時の自分は思い至ったようだ。

そこで、きりたんをナースとする初期案を没とし、ずん子が助けたい人物、という役柄に変更することにした。刑事ドラマや医療ドラマでは当たり前に使われている「刑事だから犯人を追う」「医者だから患者を助ける」という職業的使命感を用いたロジックの中に、良く言えばさらなる動機付けを、悪く言えばひねくれた要素を加えた。

また、どうせなら徹底的に視聴者を騙すというコンセプトから、「きりたんは茜と同様の状況に陥っている(不仲のまま音信不通というミスリード。真実は茜と同じく夢から醒めない)」というオチまでも考え付くことが出来た。

 

さらに中盤、「トラウマとして火事でもあった?それはない」という一文。

赤色が苦手な葵(および茜)のトラウマ候補が思い浮かばず、この時点では「赤色の連想ゲームということで、火事にしとこうかな」と考えたようである。直ちにツッコミを入れてはいるが。 

その後のテキストデータを見るに、どこでどういう着想があったかは覚えていないが、いい案が浮かんだらしい。

 

〇全体

 

中学3年冬
卒業式までぼっちだったが、最後に陰湿
ないじめにあう。
自殺しようとするあおいをあかねは全力で止める。

中学卒業前までに仲直りしたかったんや。違う高校行ってごめんな。でもうちだけは、うちだけは味方やから。
あおいの味方やからな。

救急車の光のせいで、赤い言葉だと勘違いしたあおいは絶望。
あかねと完全に距離を置く。

それ以来赤の力は消え失せる。

 

ほぼ終盤の展開の通りの記載である。

ここまでくると筆が乗ってきて、過去の回想についてもすらすらと案が出てくる。以下はかつて姉妹に何があったかを表すエピソードを書き留めたテキストデータだ。

 

〇伏線系

 

伏線①大学 要マキザッピング
(前)みんなでおはなし。
  あおい「大きくなったら、みんな大学に行くんだって!わたしたち、みんな同じ大学に行こうね!」
  ゆかり「えー、あおいちゃんあたまいいもん。わたしにはむりだよー」

 

(略)

 

伏線③化粧品
  あかね「お。新しい化粧品やん」
  あおい「うん。実はね、これ」
  あかね「言わんでええよ。どうせ、親戚のおじちゃんが車にひかれそうになったのを「見て」、助けてもらった時のお礼やろ?
      ええな、あおいは」
  あおい「…何回も言ってるけど。私だって、赤い音、みたくなんかないんだよ? でも見えちゃうときがある。
      見えちゃったら、助けてあげなきゃダメだと思っただけ。それだけだよ」
  あかね「…」

 

(略)

 
伏線④ 要マキザッピング
 (前)なんでや!なんで助けてくれなかったんや…!いつもみたく、赤い音が見えてたんじゃないんか!
    いつも見えるわけじゃないよ!ああ、マキちゃん…マキちゃん、死なないで…。
    どうするんやあおい!助からなかったら、助からなかったら…あおいのせいやぞ!

 

 

伏線④を見ると、投稿時では葵を攻める役はマキ母だったのが、この時点では茜になっている。

これらのエピソードは回想形式として、物語の要所要所で差し込むことは決定していた。だから独立した掌編小説のように好き勝手に書き連ねることが出来る。それぞれの伏線のテキストデータは、動画の通りの回想シーンの会話劇が書かれていただけなのでここでは割愛するが、とにかくこのような「書きやすいパート」だけがどんどん出来上がっていった。

 

そう、ストーリーの全体を決めることなしに、である。

 

テキストデータの振り返りの前でも触れたが、ここまで読んでいただいた方はお気づきだろう。

物語の最初と最後、そして回想シーンのエピソードという「書きやすいパート」のみを掘り下げることしか、この時の自分は行っていなかったのだ。

どのようにして不仲の葵と茜が仲直りをしていくのか。ゆかりやずん子はどのように物語に絡んでいくのか。

物語の中盤について、ほとんど何も考えていないのである。

今だからこそ言えるが、物語の芯は中盤にある。キャラクターとの掛け合いを通じて主人公の精神的成長を提示しながら、クライマックスに向けて丁寧に誘導を行う必要のある部分である。

作者が最も頭をひねるべき場所であり、一番作っていて楽しいところなのに、全く作りこんでいない。

 

だというのにだ。

思いあがっていた当時の自分は、ここまでのテキストデータを見返して満足してしまった。そして「とりあえず第一話だけでも作ってみればなんとかなるだろう」という軽いノリで動画編集を始めてしまった。

出張から帰ってきてまだ2週間、誰に急かされているわけでもないから考える時間はたっぷりあるというのにである。

得体の知れない衝動に突き動かされるがまま、「細部は出来ているのに全体がぼやけたままの奇妙なナニカ」を、見切り発車で作りだしてしまったのだ。

 

 

 

2冊との出会い

 

その結果どうなったか。

 

2話前半で、制作のモチベーションが地に落ちた。

当然である。そこから先、ストーリーを何も考えていないのだから動画なぞ作れるはずがない。手慰みに過去の回想シーンも作ってみるものの、それで大筋のストーリーが自然と出来上がるわけでもなく、動画制作は完全に袋小路に陥ってしまった。

 

自業自得ではあるのだが、その時は書き溜めたテキストデータを見るのが嫌で嫌で、ずっと映画や小説ばかり読んでいたことを覚えている。通勤電車ではあれほど熱心にメモ帳を開いていたのに、携帯を開くのも億劫で、ひたすら文庫本に熱中していた。もちろん現実逃避したかったというのもあるが、何か少しでも物語構築に得るものがあればとも考えていた。

 

唯一の救いだったのは、まだ第1話を投稿していなかったことだ。

動画サイトで長らく視聴者という立場だった自分にとって一番辛かったのは、「未完結の作品をずっと待ち続けること」だった。だから投稿者となってからは「シリーズものだけは完結まで責任を持つか、そうでなければ投稿しない」という信条を大事に抱えて生きてきた。

twitterでも次作品のことは呟いていない。だから最悪、この物語はなかったことにすればいい。

逃げの姿勢で居直りながら、燻る思いを胸に抱えてインプットをしまくっていた。

 

そんな折、映画を見ていた時にふと気が付いた。

「自分の好きなタイプの映画のストーリーって、ほとんどが『序盤は苦悩を抱える主人公が居て、中盤は持ち上げていってラスト直前で落とすところまで落として最後に大団円』のパターンだよなあ」

はっとした。頭に光が差し込んだ気がした。そうだ、だいたい売れてる映画ってのも、このパターンが多いんじゃないか。

もし、そのパターンがテンプレとして存在しているのなら。

ノウハウを纏めた書籍か何かが、出版されていないだろうか?

中盤を作りこむ上でのヒントとなる何かが、書かれていないだろうか?

 

藁にも縋る思いでネットを検索。本はすぐに見つかることになる。

合同同人誌『子どもたちの十日間』でも紹介した、「SAVE THE CAT」と「物語の法則」である。どちらも、ハリウッド脚本術と呼ばれる王道の物語製作手法について言及したものだ。

即座に注文、一読して確信を得る。

まだ、「琴葉葵の看る夢は」をお蔵入りするのは早い。

 

本に書かれているエッセンスを書き出して自分の動画に当てはめる。足りない部分を見える化し、心機一転、真摯な気持ちで中盤を作りこんでいくことになるのだが…。

 

その過程については、看る夢Ⅱで話すこととしたい。

そして第1話を視聴して、第8話と第9話に素敵なイラストを寄稿下さったあの方とのやり取りについても、触れないわけにはいかないだろう…が、それは怒られたら取り下げることにしよう。

 

私事都合で次は遅くなると思う。7月上旬か、あるいはそれより後か。

 

では、どうぞよしなに。

 

 

 

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