記憶装置

外部出力先として

あかねいろ/確率論者

初心に帰りたかった

 

白と黒のビジュアルが印象的なシネマチックパズルアクションゲーム。

Nowhere Studios開発の「Monochroma」。

 

全10話、シンプルな横スクロールゲームの実況風遊劇場「よく見ろその色あかね色」。

 

ラスト以外はゲームに忠実に則らせていただき、肩肘張らずに悩むことなく動画を作ることが出来たが、それは「看る夢」に情熱を注ぎすぎたことによる反動も少なからずあった。

 

というのも、前作では不仲な姉妹の仲直りを描いたが、架空のキャラクターとはいえあそこまで彼女たちを追い詰めてしまうと、こちらの精神も不安定になってしまう。

 

そんなわけで、Monochromaを用いた遊劇場を作ると決めた時点で、今作は仲の良い姉妹の大冒険を前面に押し出すことにしてあまり不幸な身の上にはせず、伏線を張り巡らせるようなことはしないという前提を置いたのだった。

 

「逃げ続ける」を制作した時の初心を思い出したいという意図もあった。

シンプルな横スクロールの実況を作りたい。その思いがあったから、「看る夢」制作の時にやったようなログラインやサブテーマといった仰々しいモノは一切用意しなかった。ストーリーラインやキャラの背景もふわっとだけ決めて、あとは動画を録画しながら操作キャラクターに喋らせていくスタイルで動画を作っていった。

もちろん、自分の持ち味(だと考えている)陰鬱な空気感の創出とラストのオチへの丁寧な誘導はなくしたくなかったから、そのあたりには気を使ったつもりだ。結果、気負いすぎないことで程よい塩梅の動画が作れたのではないかと思っている。

 

素敵なラストの一枚絵も描いていただいたおかげで、本来なら後味の悪い結末をハッピーエンドで締めることが出来たのも嬉しかった。お名前を出すのは迷惑になるだろうから言わないけれども、この場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

とまあこんな感じで、「あかね色」は良くも悪くも安産の動画だったので、物語制作のヒントになるようなテキスト類が一切残っていない。動画自体も3年前に完結しており、記憶がだいぶ曖昧になってしまっているから、ブログで書けることがほとんどない。これに関してはただただ、申し訳ないとしかいうほかない。

 

ただ、この短さで記事を終わらせてしまうのは味気ないので、「看る夢」後半から同時制作して、今もシリーズが続いている「確率論者」の話を少しだけしようと思う。

 

 

 

連続確率分布を説明する難しさ、説明できる立場にない現実

 

上でも触れたが、登場人物を追い詰めていく作業は追い詰める側のメンタルも削っていくものだ。

 

その苦痛から逃れるように、「看る夢」の編集作業と並行して作りはじめたのが「確率論者あかねちゃん」である。

 

確率・統計等の数理的手法を用いて不確定な事象を扱う数理のプロ「アクチュアリー」の資格試験(数学)やその教科書から引用して、高校数学から大学数学までの確率を楽しく学んでもらうのを目的に、現実でも起こりえる事象を題材としてボイロたちに頑張ってもらった。「看る夢」とは真逆の、ほんわかした明るい雰囲気で進行するように努め、寸劇にもオチをつけるよう努力した。

 

ただ、自分は数学科出身でこそあるものの、専攻は多様体論で確率論はろくに学んでいない。その筋の人が「確率論者」を見ればツッコミどころは多くあるに違いないし、特に連続確率分布周りの話なんて、あまりに雑で適当な解説に終始しているからブン殴られてもおかしくないはずだ。そもそも自分は教師でもなんでもなく、確率論を解説できる立場にすらないのが事実である。

 

それでも、思わずうーんと悩んでしまうような面白いテーマをあげつらって、数値計算においても可能な限り丁寧に導出の過程を示したつもりだ。キャラの掛け合いも含めて、どのパートも楽しんでもらえるのではないかと自負している。

 

次回は攪乱行列を使った問題を出題したいと考えてはいるが、いつ投稿できるかはまったくわからない。だが少なくともあと1回は「確率論者」を出すつもりなので、ぜひともお付き合い願いたい。

 

 

 

 

ところで急な話だが、明日新シリーズの1話目を投稿する予定である。遊劇場ではなく劇場、ゲームは一切使用しない。

前回の記事で書いたように父親となり忙しくなってしまったが、合間を縫ってトータル120分、映画尺を意識した動画構成となっている。中身はほぼ完成しているが、いろいろな事情で一か月ごとの更新予定。

久々にボイロたちと触れ合えて、ここ数か月はかなり楽しかった。

 

お暇な方は、どうぞよしなに、というわけだ。

 

そして次は、セイカさんの物語について熱く語らなくてはなるまい。いつになるかはわからないけれど。

 

看る夢Ⅱ

王道に従おう

 

ろくにプロットを構築することなく動画を作り始め、結果早い段階で挫折した…という話は看る夢Ⅰでした通りだ。2冊の本に出会い、再起を誓ったことも。

 

本には、王道な映画に見られる「お決まりのパターン」についての説明が記載されていた。

本の中身を丸々引用するわけにはいかないからある程度ぼかして書かせてもらうが、多くの人に支持される映画というものは、おおむね次のように展開されるらしい。

 

①オープニング<主人公は現状に不満を持っている>

②物語に挑戦が与えられる<主人公は一歩を踏み出そうとする>

③悩みと葛藤<主人公は拒否をする>

④大きなきっかけと進展<主人公は手ほどきを受ける>

⑤静かな流れ<主人公は小さな成功を積み重ねる>

⑥成功と明るい未来<主人公は成功するが、現状の不満とは完全に向き合っていない>

⑦不穏な流れ<主人公は驕りまたは現状の不満により転落する>

⑧大失敗<主人公は己と対話し、不満と対峙する>

⑨救い<不満に打ち勝った主人公はすべてを手に入れる>

⑩エンディング

 

物語の流れとともに、主人公の動きを<>内で表した。

 

こうして眺めてみると、なるほどと合点がいく方も多いのではないのだろうか。

王道中の王道と言われるディズニー映画に当てはめてみるとわかりやすい。アラジンでも白雪姫でもシュガーラッシュでも、だいたい上の流れに沿っているはずだ。

勿論ディズニーに限らない。コメディ映画のキューティブロンド、アクション映画のダイハード…ジャンルの枠なんて関係なく、先述のパターンに当てはまるものを挙げ始めればキリがない。

有名どころ・名作と言われる映画を思い出してみると、ものの見事に「お決まりのパターン」に(多少の順番の違いやヌケはあっても)当てはまっていることがわかるのである。

 

 

パズルとサイエンス

 

このパターンこそ自分の欲しかったヒント、いや答えそのものだった。

こんな素晴らしい情報を手に入れてしまったら、自分のストーリー作りに使わない手はない。

さっそく上記のパターンを、中盤がすっぽり抜けた状態の「琴葉葵の看る夢は」に重ね合わせてみよう。

 

①茜が盲目になる<葵は茜が嫌い、だが原因は忘れていて思い出したい>

②手を繋いでダイブできることを知る<自分の過去を知りたい>

悩みと葛藤主人公は拒否をする

大きなきっかけと進展主人公は手ほどきを受ける

静かな流れ主人公は小さな成功を積み重ねる

成功と明るい未来主人公は成功するが、現状の不満とは完全に向き合っていない

不穏な流れ主人公は驕りまたは現状の不満により転落する

大失敗主人公は己と対話し、不満と対峙する

⑨茜は葵に救われる<同左>

⑩エンディング(合わせてずんきりも救う)

 

赤字部分が何も決まっていない部分。書き出してみて改めてわかるが、ほぼ全部に色がついてしまっている。

こんな状況で動画作りを開始するとはとんでもない話である……が、最初と最後だけはしっかり考えていたからか、あるいは自分が王道好きという性格が作風に出たおかげか、黒字部分のリライトは不要のようで一安心だ。物語のバックボーンと離着陸はそのままに、中盤を膨らませることに注力すればいい。

物語のの膨らませ方、すなわちどう話を転がせばいいかは赤字の通りだ。あとは今まで作り上げたキャラクターとストーリーをどう当てはめていくかのパズルゲームになる。

 

④の手ほどき役は、医師であるずん子先生が相応しい。

⑧は大失敗=茜が精神崩壊するのに合わせ、葵が真実を知り茜を真に助けたいと思わせるのが良い。そうだ、いっそ葵も失明させてしまおう。このストーリーにおいて最も苦しんでいる茜と同じ症状を、葵が共有するのだ。葵は視聴者の視点でもあるから、より感情移入もしやすくなるだろう。

とすると⑥の成功は、少しだけ目が見えるようになった茜を描写してぬか喜びさせようか。葵はその現状に満足し、過去を知る是非に葛藤しつつも真実なんか知らなくていいと喋らせてしまうのはどうだろう。

並行して、ミスリード役のゆかりをこの物語に織り込む。⑦は茜に近づく謎の人物としてゆかりを示唆、さらには夜の病棟で葵と衝突するようにして、ゆかりが悪役であるかのように視聴者に思い込ませてやろう。

遡って③~⑤、ずん子の手ほどきとゆかりの怪しさを増幅させていきながら、葵は過去を思い出していく過程と、共感覚(赤が見えるようになる)の復活を描く。記憶を取り戻す流れはエピソードでの回想を複数回挟むことにして、茜への想いも募らせていけばよいだろう。

 

ここまで考えたところで、改めて①~⑩を埋めていく。

 

①茜が盲目になる<葵は茜が嫌い、だが原因は忘れていて思い出したい>

②手を繋いでダイブできることを知る<自分の過去を知りたい>

③自分のため?姉のため?答えの出ないままなんとなくダイブを続ける<素直になれないそぶり、過去を知りたいだけとうそぶく>

④葵の共感覚の復活<ずん子のてほどきと怪しいゆかり>

⑤茜と葵の少しずつの変化<過去を思い出していく、いい思い出もある>

⑥双子の和解<記憶が蘇らなくてもいい。怪しさ満点のゆかり>

⑦茜に近づく謎の人物?<調子に乗ってミスを犯す・ゆかりが正体を現す>

⑧茜の精神崩壊<茜に救われた過去を思い出し葵も失明する>

⑨茜は葵に救われる<同左>

⑩エンディング(合わせてずんきりも救う)

 

お見事!お決まりのパターンというサイエンスに忠実に則ってパズルゲームを組み立てただけで、投稿した動画とほとんど変わらない流れが出来てしまった。

あとはそれぞれの番号に対し、ストーリーの肉付けと過去エピソードの配置といった交通整理を行ってあげれば、「琴葉葵の看る夢は」を完成させることが出来る。

このとき覚えた達成感は(まだ完成してもいないのだけど)、何物にも代えがたかったことを覚えている。はじめて、胸を張って物語といえるものを作ることが出来る希望に満ち溢れながら、上のパターンに沿って①~⑩のエクセルシートを10個作り、そこに会話劇をガリガリ作成していった。

 

以下、1話分だけ当時のエクセルを引用してみる。とても恥ずかしいが折角なのでこれも原文ママ、キャラ崩壊等は無視して読んでいただきたい。

 

  シナリオ 視聴者が考えるだろう事/作り手の目的 備考
導入 あおい:これは姉との思い出話、そして懺悔のお話 写真を持ちながら 姉との思い出話が始まる 赤文字は8話への伏線。伏線だとばれないように注意して描写する。
OP あかね:(暗転時セリフ)うちのてにぎってくれるか?/うちはずーっとあおいのみかたやからな。 なんか喋ってる  
学校 ゆかりから電話 あおい「え、姉さんが通り魔に襲われて失明?」 マジかよ失明か  
入院初日 月曜日    
病院に来る ゆ:茜ちゃん葵ちゃんが来てくれたよ
葵:姉さん…
茜:あおいどこ…?ここ…?しゃべって
葵:…(なんやこいつって顔)
ずんこ:医者のずんこです。それにしても通り魔に襲われたとか大変ね。ゆかりとあかねで帰ってて良かったね。おはなしがありますんで別室来てね
どうやら葵は茜とは仲が悪いようだな  
医務室 ず:おねえさんは心因性視覚障害です、そのうち見えると思うよ。似たような患者見てきてるわー。
ゆかり、余計なことを言うなとでもいいたげに顔をしかめる
心因性視覚障害、そういうのもあるのか  
入院部屋 葵:よかったねねえさん目が見えるってさ
茜:なんかつめたいなー
ゆ:ていうか二人ともまだ仲直りしてないの?
葵:ゆかりさんには関係ないでしょ!
ゆ:なんやねんその態度。ごめんかえるわ
葵:ほら怒って帰っちゃったじゃん
茜:いやいやうちのせいじゃないでしょ、つか思いだしたの?仲が悪くなったあのときのこと…
葵:思い出せないっつってんだろ。中学時代の記憶ほとんどねーわ。聞いても教えてくれねージャンお前
茜:いや思い出せないならいいんだわ。ずっと葵の味方やから。
葵:なにいってんだこいつ。つか帰っていい?あたしあんたらと違って進学校だから忙しいんだわ。
茜:まーでもめっちゃ喋って嬉しいわ高校入って以来じゃね? なあ盲目の私のお願い聞いてほしい、手を繋いで寝ようや。
葵:しょうがねーな。あ。。。あったかい。。。眠くなってきたな・・・
やっぱり仲が悪いんだな。
中学時代に何かあったのか?トラウマ的なことがあって全部忘れてる?
葵だけ進学校?何故?トラウマから避けるため?
悪いのは葵?茜?ゆかりという線もあるな…。
 
廊下 ず:さきほどはごめんなさいゆかりさん。今入院検査していて、かつさっき話題に出したのはあなたの親友、マキちゃんでしたもんね。ゆかりさんが一番辛いでしょう。ご友人二人を心因性視覚障害とは…。
ゆ:ずん子先生いいんです。それより、あおいちゃんがマキちゃんのこと覚えてなさそうだったのが…少し寂しいかな。
ず;マキちゃんにも、言わない方がいいでしょう。心労を増やしちゃダメですからね?
はい。
マキちゃん、大丈夫? もっと近づく? ほら、私がついてるから。頑張ろうね。
8話に挿入。ここは時系列的備忘録。  
ゲーム世界 歩いて音反射。危険なトラップや敵は赤い音で表現される。赤い音を見るや、あおいは泣き叫ぶ。「色は友達」「赤は嘘赤は危険赤は敵」「大丈夫だよお姉ちゃん私は一人で生きていけるから」 葵は赤い音にトラウマを抱えている?
このゲーム世界は何?姉が失明しているのにかけている?
 
記憶 目くるめく過去の記憶(今後思い出していくトラウマのセリフ群)+茜(嘘という背景+赤い光つき)「ずーーーーっといっしょやからなあ?」 茜が葵に嘘をついて、それがトラウマになっている?  
起きる 葵:うわああ!最悪。もう帰ろ。つか姉さん爆睡してるし。…また赤い音見えだしたりしないよね? 赤い音が見えだす…過去は見えていたということ?  
翌朝 葵:なんか眠れんかったわ
病院から連絡来るかなって思ったけど自分の携帯にも姉の携帯(謎のストラップ付)にも連絡なしか
ここでバイクの音+クラクションSE。あぶね!葵よける。
葵:あ、やっぱ赤い音見えてねーわ。
しかしまあ…なんで見えだしたのかね。
もしかして手を繋いだら見えるようになったりして。
ていうか姉さんと手を繋いで寝たら中学時代の記憶蘇ったりして。
危ない時にも赤い音が見える?
手を繋いで寝るってのがキー?
 
次回予告 私…中学時代の記憶がほとんど思い出せないんです。
最後の記憶は…姉さんには二度と頼らない、と泣き叫んだことだけ。
   

 

 こんな感じのものを作成し、王道パターンに逸れないよう細かい部分を修正していく作業を、空いた時間に行っていた。

 

 

 

さて、ここで少し脇道にそれて、見出しの「パズルとサイエンス」について触れよう。

2冊の本にも書いてあったし、脚本の先生も仰っていたが、およそ脚本というのはパズルとサイエンスで成り立っているのだそうだ。

キャラクターが独り歩きして物語を作り出すというのは高名な小説家でもない限りあり得ない。だから自分が凡人だと思うなら、パズルとサイエンスに忠実に則るべし。

看る夢を投稿して2年以上経つが、凡人の自分は、今もこの展開を常に意識してストーリーを構築している。物語を作る上でパターンに従うのが結局のところ楽だから、というのもあるのだが、それだけではない。

色々な小説や映画を呼んで、自分は王道が好きなのだと確信したからだ。

皆さんはどうだろう?

陳腐と言われようと、「誰かが苦しんでいるのを助ける主人公の物語」は、なんだかんだで好きじゃないだろうか?

そんな主人公が諦めずに頑張って、結果全員がハッピーエンド。終わり良ければ総て良しじゃないけれど、小気味いい読後感で終わるのがベストじゃないだろうか?

 

 …全員が、ハッピーエンド?

 

 

戻って⑩を確認してほしい。誰か足りないんじゃなかろうか?

 

 

ご明察である。ここにはまだ、ゆかマキについて書かれていない。

 

実はプロットがほぼ完成した段階でもなお、ゆかマキの存在がただの舞台装置に過ぎず、最後をしっかりと描き切るつもりはなかったのだ。

ゆかりはマキを助けて終わる。ただそれだけを示すだけで、ゆかりがマキへ寄せていた想いや、ゆかり自身の心情の吐露など考えてもいなかった。

 

ではいつの段階で、あの最終話を思いついたのか?

 

 

それは9話最後、SPECIAL THANKSでご紹介した方々のお力添えあってのことであった。

 

 

 

 

他人様の意見は値千金

 

SPECIAL THANKSとして名前を挙げさせていただいているうち、「全体確認」となっている2人がいる。彼らはいわゆるリア友、15年来の友人である。

彼らには、実は1話から9話まで動画が完成するたびに、都度視聴してもらいアンケート記入をお願いしていた。

「このストーリーは今後どうなると思うか」「葵、茜、その他キャラクターの心情は理解できるものだったか」「キャラクターの性格は一貫しているか」「どこが伏線だと思うか」「物足りないと思う部分はどこか」等々、作り手が知りたいことをこれでもかというほど質問した。

面白かったのは伏線に関する回答。ミスリードに見事に引っかかってくれた時は気分が良かったし、ラストへのカタルシス・盛り上げ方へのヒントにも繋がった。

有益だったのは物足りない部分についての回答。

「ずん子先生に白衣の差分が欲しい(実は白衣差分は最初考えていなかった!)」「字幕が見づらい」という視覚要素の指摘、「ゲームパートからいきなりストーリーが始まるのは唐突感があるからやめてほしい」「回想と現実のパートの順序がわかりづらい」「メリハリがないとダレる」といった構成の指摘、「ラストは続きが気になる終わり方にしてほしい」といったヒキについての指摘…。

「セリフ回しを工夫しろ」「途中から平凡な姉妹になりすぎて毒舌葵がいなくなっていて没個性になっている」「フィクションとはいえずん子先生がスーパードクターすぎる」などズタボロに言われたこともあったが、適宜取捨選択をしながら2人の意見を動画の中に大いに取り込ませてもらった。

2冊の本にも書いてあったが、他人様のツッコミほど有益なものはない(脚本の先生という存在自体がそれを物語っているのは言うまでもないことだろう)。①~⑩の流れはあくまで基礎中の基礎で、王道から大きく踏み外さないだけの保証しかしてくれないのだ。そこからどう視聴者を引き込めるのかは作者の腕の見せ所なのだろうが、プロの作家にも編集(という名の批評家)がいるように、そのためには客観的意見を貰うことが最大のアドバイスになる。それは独善的になりがちなストーリーのバランスを取る上で重要だし、自分の知見を広げることにも繋がる。何より、手を抜いて作った部分や突っ込まれて痛い部分を的確に抉ってくるため、自分の作ったモノに真摯に向き合うという意味でも非常に良い反省になる。

しつこいようだが、他人様の意見を頂戴できる環境にあるのなら絶対にお願いしたほうがいい、飯を奢ってでもだ。必ず自分の作品を美しく磨き上げてくれる。セイカよ成果は如何程か、でも複数人に視聴いただき指摘を貰って修正を行ったわけだが、失うものは羞恥心だけだ。むしろそんなものは取っ払った方がいい、動画投稿者なのならば。

 

…と、ここまで長々と書いたわけだから、当然これを読んでいる方々は「じゃああのゆかマキのストーリーについてもその友人2人から指摘を受けたんだろう」と思っただろう。

だが違う。申し訳ないのだが、9話のほとんどがゆかマキになったのは2人のおかげではない。

 

あの9話を思いつくことが出来たのは、実は支援絵を頂戴し、ラストのイラストでも大変お世話になった方のお力である。それについて触れよう。

支援絵を頂いてからとんとん拍子で直接お会いすることになり、もしよかったらラスト絵をと不躾なお願いをしたのが2017年12月末。

5話を投稿したあたりだったろうか。前述の通りストーリーはほぼ最後まで出来ていたので、プロトタイプの動画を見ていただいたところイラストの納品を快諾いただいた。それから数週間後、8話の姉妹絵とエンディングイラストを送付いただいたところで、ゆかマキのみのイラストも追加どうでしょうかと提案があった。

そのイラストは8話のラストに掲載させていただいているが、このイラストが自分の心と涙腺に大きな衝撃を与えたのだ。

 

彼女たちを幸せにしないでどうする? 裏で葵以上に頑張ったゆかりの心情を描かないなんて、もったいなさすぎるじゃないか。

画質が劣化しない30分59秒ギリギリまで使って、出来る限り9話の中にゆかマキのストーリーを作らなくては駄目だろう。なるべく急ぎ目で、しかし見せるべきところはしっかり見せたうえで…。

出来る範囲で、最終話をリメイクするのだ。しなくちゃならない!

 

以下、テキストデータの引用。

 

〇重要

 

 ゆかりも、姉妹へ何もしてあげられなかったこと、マキに対しても何もしてあげられなかったことの劣等感を抱えている
そのことをPART8で描いてあげる

PART9では、ずん子から「楔となれ」と言われたことも含め、自分に自信がつき、何度夢の世界で失敗してもマキを助けることを誓う

このくだりがあるのとないのとでは大違い

 

素晴らしいイラストを複数枚も頂戴してしまい、それだけで死ぬほど嬉しかった。だがそれにとどまらず、そのイラストがストーリーをより良いものに変えてくれたわけである。

あの9話の構成が決まったのは、実は7話の投稿が終わったあたりだったりする。結構ギリギリだったのだ。

ストーリーを見て描いていただいたイラスト、イラストを見て思いついたストーリー…生意気なことを言うが、双方向に良い刺激を与え合う合作の醍醐味を味わえたと言ってもいいかもしれない。そんな瞬間を味わえたことについては本当に感謝してもしきれないし、製作者冥利に尽きるというものだ。この場を借りて改めて、お礼申し上げたい。本当にありがとうございました。

 

もちろん、文句を言わずいつも差分を書いてくれる彼や支援絵を描いてくださった方、感想文をくれた方、動画を見てくれた方すべてに感謝しています。それはもちろんそうなのだけれども、特にストーリーへの刺激をくれた皆様については書き残しておきたくて、こうなりました。

 

看る夢を作って一番感動したのは、間違いなく自分なのです。

 

 

反省と結び、そして

 

 

ここまで読んでいただいて8千字弱、少々長くなってしまったが、もうちょっとだけ書かせてほしい。

 

それは看る夢についてのダメ出しだ。

「作者は自分の作品を貶めるな、それはファンを否定しているのと同じ」とよく言われるが、貶すのではなく反省という意味で、「ここはこうした方が良かった」「ここはこう描きたかった」というのを数個紹介して終わりたい。

 

〇ゆかり超人説

 これは9話の見せ方が悪かった。何百回失敗してもゆかりはマキを助けるために諦めなかった、というのを示せればよかったのだが、先述の通り詰め込めるだけ詰め込んでギリギリ30分59秒、時間が足りなかった。

 深夜の病院で葵と激突するときゆかりが寝不足の顔をしているのは、彼女が疲労困憊なのを表現したつもりだったのだが、視聴者には伝わりにくかったようだ。結果、赤色が見えなくてもマキを助け出したゆかりは超人という印象を植え付けさせてしまったかもしれない。

 

〇茜失明のきっかけである暴力事件

 看る夢Ⅰでも書いた通り、初期は単なるダークサイド物を考えていて、その設定をそのまま引っ張ってきてしまった。舞台装置とはいえ嫌悪感を覚える人はいるだろうなと思ったが、舞台装置だからこそどうにでもなるわけで、そこは配慮すべきだった点だと思う。実際、ミスリードのためだけにわざわざ暴力沙汰に巻き込まれたという設定にしなくても良かったはずだ。

 

〇マキの母やいじめっ子といった悪役の存在

 例えば京町セイカや水奈瀬コウを出してきて悪役にしてもよかった。だが、名前付きのボイロキャラクターをそのまま悪役に配するのは、そのキャラクターが好きな人に対して申し訳ないという思いがあって、出来なかった。

その結果「声だけ借りたモブ」が出来上がったわけだが…これについては、いまだに正解がわからない。

個人的には、ボイロキャラクターは全員俳優で、キャスティングするのが自分というような感覚でいる。だから主人公も悪役も、なんでも好きに配役すればいいのだろうとは思うのだが…。

 

〇最後、きりたんはどうなったのか?

 答えは作中に示してある。エコー付きの声が意味するものは何か。

 

 

以上、取り留めのないものになってしまったが、看る夢について吐き出したいものはすべて吐き出せた。質問箱で良く聞かれた質問にも答えた。もう十分だろう。

ここまで読んでくださった方には深くお礼申し上げたい。自分の想いを書きなぐっただけに過ぎないのだが、何か少しでも得るものがあったのならそれに勝る喜びはないし、動画を見ていただいて暇つぶしになったのならまこと幸いである。

 

 

そしてこれは完全に私事であるが、めうめうおじさんは近いうちにめうめうおとうさんになることになった。

仕事はもちろん家事全般を自分が引き受けているので動画を作る余裕もなく、出産後1年はパソコンに触れることすらできないと思われる。

 

ボイロをいじくりまわせないのは残念だが、通勤の時間にテキストを打ちこむのを辞めるつもりもない。

 

次の更新がいつになるかはわからないが、皆様もお体ご自愛いただきつつ、どうぞよしなに、というわけだ。

 

 

 

 

 

www.nicovideo.jp

 

看る夢Ⅰ

ひねくれ者のスタートライン

 

 

エコーロケーション反響定位)を利用して暗闇を進む恐怖を体感する、斬新なパズルゲーム。

RAC7 Games開発の「DARK ECHO」。

このゲームの映像演出を用いて作成した全9話の「琴葉葵の看る夢は」は、元ネタなしでゼロからストーリーを考えた最初の動画である。

 

「結月ゆかりは逃げ続ける」の後半あたりから、なんとなく次の主人公は琴葉姉妹にすることだけは考えていた。理由は特にない。本当にフィーリングで決めていた。

しかし、それ以外は完全にまっさらだった。ベースに用いるゲームも、ストーリーの流れも、ログライン(「〇〇が△△する話」程度の大枠)すら、何一つ決まっていなかった。

 

そんな折、突然O県への出張が決まった(ここで唐突に身の上話になるのだが、まあ聞いていただきたい)。

新幹線に乗る前日までは「ちょうどよく、次の動画について考える時間が生まれた。環境が変われば斬新なアイデアが勝手に沸いてくるというし、トントン拍子でゲームやストーリーが決まるだろう」などと気楽に構えていた。だが、現実は違った。

その出張はいわゆる敗戦処理だったのだ。昼は相手方に理不尽に絞られ、夜は山奥の民泊に閉じ込められる日々。自分の精神はみるみるうちに摩耗していった。

そのような状況だからこそだろう、現実逃避したくてしたくてたまらなかった。民泊はコンビニまで徒歩30分、出かける気にもならずスマホをいじるしかなかったというのもあったかもしれない。何か、新しい動画の題材になるパズルゲームはないものか。辛い仕事から逃げるように、寝る間を惜しんで布団の中で動画を漁った。

そして出張の最終日前日、ついに「DARK ECHO」というゲームを見つけた。

動画の冒頭を見て、もうこれしかない、と思った。

ストーリー性はほとんどなく自由に脚色が出来る。そのくせ「危険なものや敵、己の断末魔は赤で表示」「同じ迷宮に迷い込んでいると思しき第三者の存在」「逃げることしかできない謎の巨大な敵」と言った、想像力を掻き立てるパーツが揃っている。

エンディングを見終える頃には、とても興奮しきっていて、絶対にこのゲームで物語を構築してやるぞと鼻息を荒くしていたのを覚えている。

 

それから自宅に戻るまで、暇なときは常にログラインとあらすじについて考えていた。繰り返すがあの時は相当参っていたから、「ホラーゲームなんだしとりあえず姉妹をひどい目に遭わせてやろう、グヘヘ」と薄笑いを浮かべて、どんな残虐な物語にしてやろうか、それだけに思考を巡らせていた。

 

つまり初期の段階では、あんな大団円のストーリーにする気は全くなかった。

 

ところが出張から帰ってきて「結月ゆかりは逃げ続ける」終盤のエンコードなどをしていると、次第にメンタルが回復してくる。そうするとその心境にも変化が生まれてくる。

ゲームを購入して、繰り返し遊んでイメージを膨らませているうちに「流行りのダークサイドと大して変わらないんじゃ面白くない」という思いにも駆られるようになってきたのだ。

自分はひねくれ者だから、「仲の良い姉妹が辛い結末を迎えるというバッドエンドではなく、逆に仲の悪い姉妹が困難を乗り越えて仲直りするハッピーエンドにしてはどうだろう」と考えるようになった。

 

ゲームの最終ステージは「謎の巨大な黒い塊から逃げきって、暗闇から光溢れる世界へたどり着くこと」でクリアとなる。「困難を乗り越え仲直りする物語」の暗喩に相応しい。

 

よし、そうと決まれば、もっともっとひねくれていこう。

 

他人様の動画を見る限り主人公は茜が多い。ならばこの動画の主人公は葵にしよう。

葵は仲直りするという夢を見る。なら、「見る夢」というタイトルにして…いや、それだと直球で面白くない。同音異義語で最も馴染みの薄い「看る」にしよう。そこから着想を膨らませよう。

「看る」ということは病院が舞台。ゲームは暗闇。とくれば茜を失明させ、それを助ける素直じゃない葵という構図にしよう。

物語には意外性がないと面白くない。どうせなら徹底的に視聴者を騙しに騙して、二面性のある物語を作りこんでみよう。

 

こうして、「琴葉葵の看る夢は」のログライン『仲の悪い姉妹が困難を乗り越え仲直りする物語』と、サブテーマ『視聴者に気付かれずに別の友達を助ける物語』の両輪が、ひねくれ者の連想ゲームによって徐々にその形を成していくことになる。

 

 

 

試行錯誤の道程

 

ログラインが出来た。次は、ストーリーを固める段階だ。

ゲームを繰り返し繰り返し遊びながら、使えそうなステージを取捨選択して、妄想を膨らませていく。通勤中は常にメモ帳を開き、思いついたセリフ、シーン、ストーリーの流れをテキストに書き溜めていた。

自宅では、メモ帳に書かれたキーワードをどう配置したら面白くなるか考えながら、物語の流れを調整していく。

…と書くとそれっぽいが、実はこの時は、最初と最後の展開さえ決まっていればなんとかなるだろうという甘い考えで突っ走っていた。正直、今の自分では想像もつかないような独特のストーリー作りをしていたことになる。

 

ここで、看る夢関連のテキストデータのうち、面白そうなものを抜粋してみる。原文ママというヤツなので、読みづらい・誤字脱字等は目を瞑っていただきたい。

 

〇テキストデータ1


コンセプト:過去を思い出しながら精神的損傷で盲目になった茜を助ける
すでにみんな大学生、葵の過去を振り替える形(パート1と最後だけに伏線を張っておく。)


裏コンセプト:情報の断片を各パートにばらまいて、同じく暴漢に襲われ盲目となったマキを助けるためにゆかりが同じことをしようとするエンドをエンドロールの最後につける?

 

塞ぎ混む前までの友達は四人だが編集して三人であるように見せること。
伏線はマキの台詞でノイズ、立ち絵のズレ。最後にネタばらしすること。

ずん子ときりたんは医者とナース役。
だが裏でゆかりんと結託しており、夢の世界を脳波で観測(ハーネスに繋がれるのはパート2以降とする)。
最後はゆかりん一人で、同じような目に遭ってるマキちゃんの世界にダイブして助ける。

「あかねちゃんのためだから」という発言は嘘なので赤く見える。それで混乱して逆転する。

 

最後は光へ脱出。
感動の再会しつつ、視覚効果がなくなってることに気づく。
ずん子に下手な嘘をついてもらい(全然心配してませんでしたよー)色すら見えなくなったことに気づき、脳の代償は特殊能力の欠如であることがわかり安堵。

姉妹二人で笑ってる姿。

同じ大学目指して葵が茜に勉強を教えている?


葵「でもこの話には、裏があって…」

ゆかりんが病室から出たあとマキと同じハーネス繋いで薬飲んでダークエコー開始。
伏線回収し、葵の独り言(日記はこれでおしまい)
→四人の立ち絵でエンド。私の見る夢は、みんなで同じ大学に行くこと。

 

ログラインのおかげで物語の大枠は投稿時のものと変わっていないが、細部が異なるのがわかる。

初稿では、手を握って夢の世界へダイブするのではなく、ハーネスに繋がって相手の頭脳へダイブするというSF的な世界観だった。

また、きりたんはナース役での登場を考えており、投稿時のようなラストのオチ要因ではなかった。エンディングはゆかりがマキを助けるシーンで終わりにしようと考えていて、ゆかりの心理描写なぞ行うつもりはなく、「視聴者を驚かせるための舞台装置」としての扱い程度にしか考えていなかった。

 

ここからアイデアをさらに膨らませたり、初稿に手を加えていく。

次は、第二稿のアイデア出しに用いたテキストだ。

 

〇タイトルなし

 

 

うぬぼれる子ほど闇が深い

トラウマが大きすぎるのはそのせいか…?
もっと大きなショックでもあったみたいですが人によるし。

火事でもあった?それはない。

携帯の電話帳…中学時代の連絡先すらなかった。
わたしには友達がいなかったのか、記憶を消す前に消したのか…いずれにせよ、友達から疎遠にされてたみたい。
赤の音の力のせいかどうかはわからないけれど。

 

何故ずんこはそこまで協力的なのか

 

ラスト一文、「何故ずんこはそこまで協力的なのか」で終わっているのが面白い。いくらフィクションの世界とはいえ「夢の世界に入りこんで姉を治療する」などとのたまう妹を医者が信用するはずがないし、登場人物の心情や行動の意味合いに正当性を与えるためにも、何らかの理由付けをしなくては…とこの時の自分は思い至ったようだ。

そこで、きりたんをナースとする初期案を没とし、ずん子が助けたい人物、という役柄に変更することにした。刑事ドラマや医療ドラマでは当たり前に使われている「刑事だから犯人を追う」「医者だから患者を助ける」という職業的使命感を用いたロジックの中に、良く言えばさらなる動機付けを、悪く言えばひねくれた要素を加えた。

また、どうせなら徹底的に視聴者を騙すというコンセプトから、「きりたんは茜と同様の状況に陥っている(不仲のまま音信不通というミスリード。真実は茜と同じく夢から醒めない)」というオチまでも考え付くことが出来た。

 

さらに中盤、「トラウマとして火事でもあった?それはない」という一文。

赤色が苦手な葵(および茜)のトラウマ候補が思い浮かばず、この時点では「赤色の連想ゲームということで、火事にしとこうかな」と考えたようである。直ちにツッコミを入れてはいるが。 

その後のテキストデータを見るに、どこでどういう着想があったかは覚えていないが、いい案が浮かんだらしい。

 

〇全体

 

中学3年冬
卒業式までぼっちだったが、最後に陰湿
ないじめにあう。
自殺しようとするあおいをあかねは全力で止める。

中学卒業前までに仲直りしたかったんや。違う高校行ってごめんな。でもうちだけは、うちだけは味方やから。
あおいの味方やからな。

救急車の光のせいで、赤い言葉だと勘違いしたあおいは絶望。
あかねと完全に距離を置く。

それ以来赤の力は消え失せる。

 

ほぼ終盤の展開の通りの記載である。

ここまでくると筆が乗ってきて、過去の回想についてもすらすらと案が出てくる。以下はかつて姉妹に何があったかを表すエピソードを書き留めたテキストデータだ。

 

〇伏線系

 

伏線①大学 要マキザッピング
(前)みんなでおはなし。
  あおい「大きくなったら、みんな大学に行くんだって!わたしたち、みんな同じ大学に行こうね!」
  ゆかり「えー、あおいちゃんあたまいいもん。わたしにはむりだよー」

 

(略)

 

伏線③化粧品
  あかね「お。新しい化粧品やん」
  あおい「うん。実はね、これ」
  あかね「言わんでええよ。どうせ、親戚のおじちゃんが車にひかれそうになったのを「見て」、助けてもらった時のお礼やろ?
      ええな、あおいは」
  あおい「…何回も言ってるけど。私だって、赤い音、みたくなんかないんだよ? でも見えちゃうときがある。
      見えちゃったら、助けてあげなきゃダメだと思っただけ。それだけだよ」
  あかね「…」

 

(略)

 
伏線④ 要マキザッピング
 (前)なんでや!なんで助けてくれなかったんや…!いつもみたく、赤い音が見えてたんじゃないんか!
    いつも見えるわけじゃないよ!ああ、マキちゃん…マキちゃん、死なないで…。
    どうするんやあおい!助からなかったら、助からなかったら…あおいのせいやぞ!

 

 

伏線④を見ると、投稿時では葵を攻める役はマキ母だったのが、この時点では茜になっている。

これらのエピソードは回想形式として、物語の要所要所で差し込むことは決定していた。だから独立した掌編小説のように好き勝手に書き連ねることが出来る。それぞれの伏線のテキストデータは、動画の通りの回想シーンの会話劇が書かれていただけなのでここでは割愛するが、とにかくこのような「書きやすいパート」だけがどんどん出来上がっていった。

 

そう、ストーリーの全体を決めることなしに、である。

 

テキストデータの振り返りの前でも触れたが、ここまで読んでいただいた方はお気づきだろう。

物語の最初と最後、そして回想シーンのエピソードという「書きやすいパート」のみを掘り下げることしか、この時の自分は行っていなかったのだ。

どのようにして不仲の葵と茜が仲直りをしていくのか。ゆかりやずん子はどのように物語に絡んでいくのか。

物語の中盤について、ほとんど何も考えていないのである。

今だからこそ言えるが、物語の芯は中盤にある。キャラクターとの掛け合いを通じて主人公の精神的成長を提示しながら、クライマックスに向けて丁寧に誘導を行う必要のある部分である。

作者が最も頭をひねるべき場所であり、一番作っていて楽しいところなのに、全く作りこんでいない。

 

だというのにだ。

思いあがっていた当時の自分は、ここまでのテキストデータを見返して満足してしまった。そして「とりあえず第一話だけでも作ってみればなんとかなるだろう」という軽いノリで動画編集を始めてしまった。

出張から帰ってきてまだ2週間、誰に急かされているわけでもないから考える時間はたっぷりあるというのにである。

得体の知れない衝動に突き動かされるがまま、「細部は出来ているのに全体がぼやけたままの奇妙なナニカ」を、見切り発車で作りだしてしまったのだ。

 

 

 

2冊との出会い

 

その結果どうなったか。

 

2話前半で、制作のモチベーションが地に落ちた。

当然である。そこから先、ストーリーを何も考えていないのだから動画なぞ作れるはずがない。手慰みに過去の回想シーンも作ってみるものの、それで大筋のストーリーが自然と出来上がるわけでもなく、動画制作は完全に袋小路に陥ってしまった。

 

自業自得ではあるのだが、その時は書き溜めたテキストデータを見るのが嫌で嫌で、ずっと映画や小説ばかり読んでいたことを覚えている。通勤電車ではあれほど熱心にメモ帳を開いていたのに、携帯を開くのも億劫で、ひたすら文庫本に熱中していた。もちろん現実逃避したかったというのもあるが、何か少しでも物語構築に得るものがあればとも考えていた。

 

唯一の救いだったのは、まだ第1話を投稿していなかったことだ。

動画サイトで長らく視聴者という立場だった自分にとって一番辛かったのは、「未完結の作品をずっと待ち続けること」だった。だから投稿者となってからは「シリーズものだけは完結まで責任を持つか、そうでなければ投稿しない」という信条を大事に抱えて生きてきた。

twitterでも次作品のことは呟いていない。だから最悪、この物語はなかったことにすればいい。

逃げの姿勢で居直りながら、燻る思いを胸に抱えてインプットをしまくっていた。

 

そんな折、映画を見ていた時にふと気が付いた。

「自分の好きなタイプの映画のストーリーって、ほとんどが『序盤は苦悩を抱える主人公が居て、中盤は持ち上げていってラスト直前で落とすところまで落として最後に大団円』のパターンだよなあ」

はっとした。頭に光が差し込んだ気がした。そうだ、だいたい売れてる映画ってのも、このパターンが多いんじゃないか。

もし、そのパターンがテンプレとして存在しているのなら。

ノウハウを纏めた書籍か何かが、出版されていないだろうか?

中盤を作りこむ上でのヒントとなる何かが、書かれていないだろうか?

 

藁にも縋る思いでネットを検索。本はすぐに見つかることになる。

合同同人誌『子どもたちの十日間』でも紹介した、「SAVE THE CAT」と「物語の法則」である。どちらも、ハリウッド脚本術と呼ばれる王道の物語製作手法について言及したものだ。

即座に注文、一読して確信を得る。

まだ、「琴葉葵の看る夢は」をお蔵入りするのは早い。

 

本に書かれているエッセンスを書き出して自分の動画に当てはめる。足りない部分を見える化し、心機一転、真摯な気持ちで中盤を作りこんでいくことになるのだが…。

 

その過程については、看る夢Ⅱで話すこととしたい。

そして第1話を視聴して、第8話と第9話に素敵なイラストを寄稿下さったあの方とのやり取りについても、触れないわけにはいかないだろう…が、それは怒られたら取り下げることにしよう。

 

私事都合で次は遅くなると思う。7月上旬か、あるいはそれより後か。

 

では、どうぞよしなに。

 

 

 

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逃げ続ける

1984年」に倣え

 

党によってあらゆる自由が抑圧された、全体主義国家を描いたディストピア・フィクション。

ジョージ・オーウェル作、「1984年」。

「結月ゆかりは逃げ続ける」の元ネタである。

 

その「結月ゆかりは逃げ続ける」で使用したゲーム「Black The Fall」は、ルーマニアのインディーズゲームスタジオが開発したものだ。

統制された独裁国家を舞台とする退廃的でディストピアな世界観からは、かつて共産主義化し圧政が敷かれていたルーマニアの歴史的資産をゲーム内で表現しようとする開発者の強い意志を感じとることが出来る。

 

 

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そしてこの「Black The Fall」もまた、「1984年」のネタを取り入れている。

 

例えばゲーム中盤、かつて独裁政権を率いたチャウシェスク大統領と、アメリカの象徴である自由の女神が交互にスクリーンに映し出されるシーンがある。共産主義と資本主義の対立構造である。

スクリーン前に集う人々は、チャウシェスクが映しだされると拍手喝采し、自由の女神が映るとブーイングを行う。それを延々と繰り返す。これは「1984年」で有名なシーンの1つである「2分間憎悪」のオマージュに他ならない。

他にも、ゲーム内ではイースターエッグとして表現される反政府地下組織の存在があちこちで見て取れるが、その近くには常に謎の肖像画が掲げられている。「1984年」内にはこのようなシーンはないものの、反政府地下組織のリーダー「ゴールドスタイン」を示唆しているように思える。

 

開発者が「1984年」について触れている記事を見つけることは出来なかったが、「1984年」を意識してゲームを制作したのはほぼ確実であろう。

 

だから、それに自分も乗っかった。

ゆかりに主人公ウィンストン役、マキにゴールドスタイン役(+オブライエン役)を演じてもらい、反政府分子に他のキャラクターを当てはめて「結月ゆかりは逃げ続ける」を作成した。

 

この動画が自分にとって初のVOICEROID長編動画となったわけだが、制作は全く苦労しなかったと記憶している。投稿日を見てもらえばわかる通り、1週間に2本というハイペースで動画投稿をしていることもその証明になるだろう。

 もっとも、ストーリー性が薄くなりがちなパズルゲーム分野において、「Black The Fall」はルーマニアの圧政から革命までをゲームに落とし込むという明確な信条があって制作されており、他のパズルゲームとは一線を画している。

つまりドラマティックなストーリーの下地は最初から用意されているわけだから、自分はそこに「1984年」の小ネタを織り込むだけで良い。ゆかりも要所以外ではパズルゲームの攻略法を独白するだけで良く、どこにどのようなセリフを当てはめるかなど深く考える必要もない。動画投稿に時間がかからなくて当然ではある。

 

ここで冒頭で述べた、「結月ゆかりは逃げ続ける」の中に出てくる「1984年」のネタを取り上げてみよう。

 

もっともわかりやすいものは、前述した「2分間憎悪」だろう。これは単に「5分間憎悪」に名前を変えただけだ。

ゆかりが事あるごとに復唱する「党は正しい、私は幸せ。皆が皆を監視しろ、反体制派を許してはならぬ」は、「1984年」の党のイデオロギーそのものである。

1984年」で「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる指導者は、「コンダクター」という名称に変更しチャウシェスクに当てはめさせてもらった。

他にはゆかりが拷問中、穀物の生産量を問われ「昨年と同じであり昨年の倍であり昨年の半分である」と答えるシーンがあるが、これは「1984年」を象徴するフレーズの一つ「2+2=5」のオマージュである。

1984年」の主人公ウィンストンが住む超大国オセアニアでは、1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、かつ同時に受け入れることが出来る「ダブルシンク」という思考能力を有することが求められる。それが「2+2=5」である。

作中、ウィンストンはダブルシンクに嫌悪感を覚え、「自由とは、2+2=4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」とノートに書き記す。しかし後半、オブライエンの拷問に屈して「2+2=5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」というダブルシンクを用いることが出来るようになる。それは党に対する絶対的な服従という洗脳が着実に進行していることも意味している。

結局「結月ゆかりは逃げ続ける」において、穀物の生産量が「昨年と同じであり昨年の倍であり昨年の半分である」というのは、数学的に生産量がゼロであったということを言いたいのではない。マキ(党)の教化によってゆかりの精神や思考、個人の経験や客観的事実は完全に支配され、もはやダブルシンクに抵抗を覚えなくなったことを表現したかったのだ。

加えて、ゲーム序盤に登場するウソのトウモロコシ畑の映像について再度触れておきたかったというのもある。1989年当時のルーマニアは窮乏していたにも関わらず、国内のテレビでは「記録的豊作である」と宣伝されていた。

ウソのトウモロコシ畑をわざわざステージの中に置き、プレイヤーに破壊までさせた開発者の心情は推して知るべしと言ったところだろう。

 

とまあこのように、小ネタを随所に散りばめるだけ散りばめて、最後は希望を感じ取れるエンドで「結月ゆかりは逃げ続ける」は気持ちよく締めくくらせていただいたわけである。

 

では現実のルーマニア、「Black The Fall」、「1984年」はどういう結末を迎えるのか。

 

ルーマニアは1989年、ルーマニア革命によってチャウシェスク政権が打倒され民主化されることになる。

 

「Black The Fall」においても同じで(ルーマニア革命をベースとしたゲームなのだから当然ではあるのだが)、ラストでは独裁国家が破られることを示唆するシーンがある。最終ステージに登場するマキ(及びゲームキャラ)は穴の空いた国旗を振り回しているが、これは実際のルーマニア革命でも用いられたもので、反体制派の証である。

さらにエンディングやスタッフロールではルーマニア革命後の人々を映したと思しき本物の写真が流され、ゲーム主人公の行く末はわからないけれども、一応のハッピーエンドを迎えているように見える。

 

では「1984年」はどうか。

これについては是非ともお読みいただきたい、の一言に尽きるのだが、これだけは触れておこう。

細部まで読み切った人はわかるだろうが、あのディストピア世界の終着点は、実は作品の中でメタ的に表現されている。あの仕掛けは天才的だと思う。小説媒体にしかできない、なんとも巧いやり口だ。

 繰り返すが、未読の方は是非読んでみてほしい。

 

 

ここまで取り留めなく書き連ねてきたが、「結月ゆかりは逃げ続ける」について語ることが出来るのはこのくらいだろう。

これに関しては制作裏話というより、ルーマニア革命・「Black The Fall」・「1984年」間の共通点を語るばかりだったが、ここまで読んでいただいた方の暇つぶしにでもなれば幸いである。

 

 

そして。

 

「結月ゆかりは逃げ続ける」完結の目処が立った頃、自分の心の中では大きな欲望が渦巻いていた。

それは「ゼロから物語を作ってみたい」というものだ。また「動画でしかできない表現をしたい」とも。

 

もともと自分は編集能力が乏しく、アニメーションや派手なエフェクトで視聴者を魅せることはできない。しかしそれでは動画にする意味がない。どうせなら動きのあるゲームを取り入れて物語を構築しつつ、動画でしかできない何かをしてやりたい。

「結月ゆかりは逃げ続ける」をエンコードしながら、足りない頭をひねる毎日が続いた。

動きのあるゲームといっても、物語がついていては自分の目的は果たせない。となれば、やはりパズルゲームがいいだろう。

「Black The Fall」ほどストーリー性の濃くない、しかし印象に残って想像力の余地が多分に含まれる、都合のよいパズルゲームはどこかにないだろうか…。

 

そのゲーム「DARK ECHO」とは、O県への出張中に出会うことになる。

 

 

といったところで、また次回。記事の投稿は6月上旬ごろだろう。

 

次は本格的にストーリー構築裏話だったり後書きだったりを残していくので、今回のようなマジメな構成とはまるで違うものが出来上がると思われるが、それはそれ、これはこれ。

どうぞよしなに。

 

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総括Ⅰ

はじめに


このブログを作ろうと思ったきっかけは、動画コメントと質問箱に届いたお手紙。

「過去の動画について何か語って欲しい」「あとがきを書いて欲しい」というもの。

今までずっと、その手のコメントは殆ど無視してきた。

動画を見て何を思うかは人それぞれ。

過去作について何か呟いたところで、動画を見てくれた人が抱いている印象に余計なノイズを与えるだけだ。
だいたい、自分で作りたいなと思ったものを吐き出しているだけで、あとがきで何かを発信するほど仰々しいものはこしらえていない。

そもそも何かを発信したいのなら、動画を作って婉曲的に表現するのが一番賢明だ。

だからどうにも野暮ったくて、twitterで感想をくれた方にはいつも、「楽しんでいただけたのなら幸いです」とだけ答えてきた。

そんなヤツが今、こんなブログを作って何かを書き残そうとしている。数ヶ月前の自分が見たらびっくりするだろう。

 


もっとも未だに、その動機はぼんやりとしている。

 

勿論冒頭で述べたとおり、頂戴した声に応えようという気になったのは間違いないが、なぜこのタイミングなのだろう。

趣味の範疇ではあるがお金を払って先生の下でしっかりと脚本を学んだり、他人様の作品に顔を出してちょっかいを出したりするようになってきて、動画以外の媒体で自分から何かを発信することについての躊躇い、恥じらいが薄れてきているからなのか。

家庭を持ち動画投稿だけに時間を割けなくなった分、満員電車の限られた時間いっぱいにこの文字を打つことで、アウトプット欲を満たしたいからなのか。

しばらく動画制作から離れたことで心の余裕を持て余している今だからこそ、かつての自らの熱意がどんなものだったかを手を動かしながら思い出すことで、虚しい心地よさに浸りたいだけだからなのか。

 

どれも正しいだろうが、核心でもない。答えは定かではないが、このブログを書き連ねていけば、何かわかることがあるかもしれない。

そのときはまた総括Ⅱとでも題して、振り返ろうと思う。

 

だいぶ話が逸れたので本題に戻ろう。

 

このブログの目的は、自分が作ってきた動画についてのあとがきのためであったり、ボツストーリーの披露であったり、当時のメモをひっくり返して懐かしさに浸るためであったりする。

 

そう、パソコンにも携帯にも、大量に書き溜めたメモがまだ残ったままなのだ。

 

それらをtwitterに載せるには字数が足りない。かといってニコニコのブロマガに載せるには気恥ずかしい。

 

そこで、ここでひっそりと、出力と保存を行うことにする。

 

更新頻度は全くの未定。

どの動画も思い入れは等しくあるが、ゲーム要素の援用が少なくほぼゼロからストーリーを考えた、看る夢と如何程の話が大半を占めることになるだろう。

 

いざ書き出したら大したネタがなくて、面白みに欠けるかもしれない。

だが、アウトプットを行う以上、なるたけ読み応えのあるものにしていきたい。

数年後自分で見返したときに、どんな気持ちでいられるかが見ものではあるけれど。

 

そんなわけで、どうぞよしなに、ということだ。