記憶装置

外部出力先として

逃げ続ける

1984年」に倣え

 

党によってあらゆる自由が抑圧された、全体主義国家を描いたディストピア・フィクション。

ジョージ・オーウェル作、「1984年」。

「結月ゆかりは逃げ続ける」の元ネタである。

 

その「結月ゆかりは逃げ続ける」で使用したゲーム「Black The Fall」は、ルーマニアのインディーズゲームスタジオが開発したものだ。

統制された独裁国家を舞台とする退廃的でディストピアな世界観からは、かつて共産主義化し圧政が敷かれていたルーマニアの歴史的資産をゲーム内で表現しようとする開発者の強い意志を感じとることが出来る。

 

 

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そしてこの「Black The Fall」もまた、「1984年」のネタを取り入れている。

 

例えばゲーム中盤、かつて独裁政権を率いたチャウシェスク大統領と、アメリカの象徴である自由の女神が交互にスクリーンに映し出されるシーンがある。共産主義と資本主義の対立構造である。

スクリーン前に集う人々は、チャウシェスクが映しだされると拍手喝采し、自由の女神が映るとブーイングを行う。それを延々と繰り返す。これは「1984年」で有名なシーンの1つである「2分間憎悪」のオマージュに他ならない。

他にも、ゲーム内ではイースターエッグとして表現される反政府地下組織の存在があちこちで見て取れるが、その近くには常に謎の肖像画が掲げられている。「1984年」内にはこのようなシーンはないものの、反政府地下組織のリーダー「ゴールドスタイン」を示唆しているように思える。

 

開発者が「1984年」について触れている記事を見つけることは出来なかったが、「1984年」を意識してゲームを制作したのはほぼ確実であろう。

 

だから、それに自分も乗っかった。

ゆかりに主人公ウィンストン役、マキにゴールドスタイン役(+オブライエン役)を演じてもらい、反政府分子に他のキャラクターを当てはめて「結月ゆかりは逃げ続ける」を作成した。

 

この動画が自分にとって初のVOICEROID長編動画となったわけだが、制作は全く苦労しなかったと記憶している。投稿日を見てもらえばわかる通り、1週間に2本というハイペースで動画投稿をしていることもその証明になるだろう。

 もっとも、ストーリー性が薄くなりがちなパズルゲーム分野において、「Black The Fall」はルーマニアの圧政から革命までをゲームに落とし込むという明確な信条があって制作されており、他のパズルゲームとは一線を画している。

つまりドラマティックなストーリーの下地は最初から用意されているわけだから、自分はそこに「1984年」の小ネタを織り込むだけで良い。ゆかりも要所以外ではパズルゲームの攻略法を独白するだけで良く、どこにどのようなセリフを当てはめるかなど深く考える必要もない。動画投稿に時間がかからなくて当然ではある。

 

ここで冒頭で述べた、「結月ゆかりは逃げ続ける」の中に出てくる「1984年」のネタを取り上げてみよう。

 

もっともわかりやすいものは、前述した「2分間憎悪」だろう。これは単に「5分間憎悪」に名前を変えただけだ。

ゆかりが事あるごとに復唱する「党は正しい、私は幸せ。皆が皆を監視しろ、反体制派を許してはならぬ」は、「1984年」の党のイデオロギーそのものである。

1984年」で「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる指導者は、「コンダクター」という名称に変更しチャウシェスクに当てはめさせてもらった。

他にはゆかりが拷問中、穀物の生産量を問われ「昨年と同じであり昨年の倍であり昨年の半分である」と答えるシーンがあるが、これは「1984年」を象徴するフレーズの一つ「2+2=5」のオマージュである。

1984年」の主人公ウィンストンが住む超大国オセアニアでは、1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、かつ同時に受け入れることが出来る「ダブルシンク」という思考能力を有することが求められる。それが「2+2=5」である。

作中、ウィンストンはダブルシンクに嫌悪感を覚え、「自由とは、2+2=4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」とノートに書き記す。しかし後半、オブライエンの拷問に屈して「2+2=5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」というダブルシンクを用いることが出来るようになる。それは党に対する絶対的な服従という洗脳が着実に進行していることも意味している。

結局「結月ゆかりは逃げ続ける」において、穀物の生産量が「昨年と同じであり昨年の倍であり昨年の半分である」というのは、数学的に生産量がゼロであったということを言いたいのではない。マキ(党)の教化によってゆかりの精神や思考、個人の経験や客観的事実は完全に支配され、もはやダブルシンクに抵抗を覚えなくなったことを表現したかったのだ。

加えて、ゲーム序盤に登場するウソのトウモロコシ畑の映像について再度触れておきたかったというのもある。1989年当時のルーマニアは窮乏していたにも関わらず、国内のテレビでは「記録的豊作である」と宣伝されていた。

ウソのトウモロコシ畑をわざわざステージの中に置き、プレイヤーに破壊までさせた開発者の心情は推して知るべしと言ったところだろう。

 

とまあこのように、小ネタを随所に散りばめるだけ散りばめて、最後は希望を感じ取れるエンドで「結月ゆかりは逃げ続ける」は気持ちよく締めくくらせていただいたわけである。

 

では現実のルーマニア、「Black The Fall」、「1984年」はどういう結末を迎えるのか。

 

ルーマニアは1989年、ルーマニア革命によってチャウシェスク政権が打倒され民主化されることになる。

 

「Black The Fall」においても同じで(ルーマニア革命をベースとしたゲームなのだから当然ではあるのだが)、ラストでは独裁国家が破られることを示唆するシーンがある。最終ステージに登場するマキ(及びゲームキャラ)は穴の空いた国旗を振り回しているが、これは実際のルーマニア革命でも用いられたもので、反体制派の証である。

さらにエンディングやスタッフロールではルーマニア革命後の人々を映したと思しき本物の写真が流され、ゲーム主人公の行く末はわからないけれども、一応のハッピーエンドを迎えているように見える。

 

では「1984年」はどうか。

これについては是非ともお読みいただきたい、の一言に尽きるのだが、これだけは触れておこう。

細部まで読み切った人はわかるだろうが、あのディストピア世界の終着点は、実は作品の中でメタ的に表現されている。あの仕掛けは天才的だと思う。小説媒体にしかできない、なんとも巧いやり口だ。

 繰り返すが、未読の方は是非読んでみてほしい。

 

 

ここまで取り留めなく書き連ねてきたが、「結月ゆかりは逃げ続ける」について語ることが出来るのはこのくらいだろう。

これに関しては制作裏話というより、ルーマニア革命・「Black The Fall」・「1984年」間の共通点を語るばかりだったが、ここまで読んでいただいた方の暇つぶしにでもなれば幸いである。

 

 

そして。

 

「結月ゆかりは逃げ続ける」完結の目処が立った頃、自分の心の中では大きな欲望が渦巻いていた。

それは「ゼロから物語を作ってみたい」というものだ。また「動画でしかできない表現をしたい」とも。

 

もともと自分は編集能力が乏しく、アニメーションや派手なエフェクトで視聴者を魅せることはできない。しかしそれでは動画にする意味がない。どうせなら動きのあるゲームを取り入れて物語を構築しつつ、動画でしかできない何かをしてやりたい。

「結月ゆかりは逃げ続ける」をエンコードしながら、足りない頭をひねる毎日が続いた。

動きのあるゲームといっても、物語がついていては自分の目的は果たせない。となれば、やはりパズルゲームがいいだろう。

「Black The Fall」ほどストーリー性の濃くない、しかし印象に残って想像力の余地が多分に含まれる、都合のよいパズルゲームはどこかにないだろうか…。

 

そのゲーム「DARK ECHO」とは、O県への出張中に出会うことになる。

 

 

といったところで、また次回。記事の投稿は6月上旬ごろだろう。

 

次は本格的にストーリー構築裏話だったり後書きだったりを残していくので、今回のようなマジメな構成とはまるで違うものが出来上がると思われるが、それはそれ、これはこれ。

どうぞよしなに。

 

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